芥川龍之介(1892〜1927)の親友、洋画家の小穴隆一(1894〜1966)による回想録(カバーは本人だが、装幀は自装ではなく恩地孝四郎)。芥川が自殺してから約30年たってからの出版だが、過去に書き散らした回想的な短い文章をまとめたもので、重複する内容の…
約2年ぶりの写真。
小田嶽夫(1900〜1979)は新潟高田出身。東京外語学校支那語科(現外語大)卒業後、外務省勤務。本格的に作家を目指したのは1930年に外務省を退職してから。したがって、同時代の作家予備軍の中では年上のほうだった。 本書は小田が1936年に「城外」で第3回…
「生きている間は、何が起るか分らない」という言葉が、つぶやきとなって私の口にのぼった。それは「生きている間は何をするか分らない」と言った方が正確だった。私にとってその言葉は、「生きているうちは救いなどありはしない」という意味だった。 『鳴海…
本の整理をするたびに、これは捨てられないなぁ……と思う詩集である。土井晩翠賞受賞だからではない。著者の動機にある。 夫がガンと診断されたのは八年前で、わたくしが詩の道にはいったのも、その頃でした。さいわい夫は手術の経過がよくて、鶴のように痩せ…
澤田繁晴著『炎舞 文学・美術散策』で引用されていた、伊藤整の「鳴海仙吉」を岩波文庫で見つけたので読んでみた。底本は新潮文庫版(1956年初版、1972年16刷)。親本は1950年に細川書店から出た単行本だろう。 500ページ強もあるので腰が引け、読む前にネッ…
読売新聞と日本文学報国会のタイアップ企画本『日本の母』。日本文学報国会は「国家の要請するところに従って、国策の周知徹底、宣伝普及に挺身し、以て国策の施行実践に協力する」ことを目的とした社団法人(Wikipedia)。日本各地の読売新聞関係者が選んだ…
川端康成が帯文を書いていて判型が変わっている(B5)『青桐の床屋と燕』。著者の二反長半(1907〜1977)は「にたんおさ・なかば」と読む。本名は二反長半二郎で「にたんちょうはんじろう」。初めて見る名前だったが、Wikipediaを見ると、児童文学者として多…
単行本の『告別』は、「告別」(初出は「群像」1962年1月号)と「形見分け」(同1961年3月号)の二編を収録し、1962年4月に発行された。菅野昭正による解説付の講談社文庫版はその11年後、1973年4月に発行されている。単行本は正字・歴史的仮名遣いで、文庫…
龍書房というのは室生犀星の最晩年の弟子である葉山修平の本を沢山出版している本屋で、葉山が室生犀星学会の会長を務めている関係か、犀星学会員の著書をよく見かける。『炎舞 文学・美術散策』の著者の名前も初めて見たが、川端康成学会、室生犀星学会、芸…
Twitter上で評判を知り、清家雪子(せいけゆきこ)『月に吠えらんねえ』(アフタヌーンKC)を読んでみた。萩原朔太郎を中心とする近代詩人たちの作家論をコミック形式で展開しているものと受け止めた。アマゾンレビューで高評価を付けている人たちとは違って…
1951〜1952年までの2年間、NHKラジオ放送用に執筆された随筆500編の中から105編を選んだのが『放送随筆』。105編は、安藤鶴夫、向井潤吉、式場隆三郎、河竹繁俊、平山蘆江、小絲源太郎、大町文衛、田辺尚雄、福田清人、石川欣一、中村白葉、木村荘八、内田亨…
山本健吉(1907〜1988)が、慶応大学在籍時に原民喜らと同人誌を作っていたということを最近になって知った。山本の名前を知った頃は、俳句・短歌関係の著書ばかり目にしていた。したがって、そっち方面の評論家かと思い込んでいて、気にも止めなかったが、…
札幌生まれの作家、船山馨(1914〜1981)の薄い随筆集。妻の春子が後を追うように8月5日の同日夜に亡くなった、ということは新聞で目にした。八木義徳のエッセイで、船山が酷いヒロポン中毒になったが立ち直ったことも読んでいる。が、船山の文章は読んだこ…
昭和18年5月号の「文庫」(三笠書房)で、中山義秀(1900〜1969)が岩野泡鳴(1873〜1920)について書いている。このとき、中山は初めて岩野泡鳴の「泡鳴五部作」を読んだ。中山は1900年生まれだから、昭和18年には43歳。意外と遅く読んでいる。中山は、泡鳴…
どこもかしこもスカイツリーが見えるようになると景色が変わる。
2012-11-19 散歩:赤坂付近から約2年ぶりに同じ樹木を。
小日向神社。近くに新渡戸稲造旧居跡の碑があった。石じゃないから碑とは言わないか……。