伊藤整著『変容』(岩波文庫、1983)

「生きている間は、何が起るか分らない」という言葉が、つぶやきとなって私の口にのぼった。それは「生きている間は何をするか分らない」と言った方が正確だった。私にとってその言葉は、「生きているうちは救いなどありはしない」という意味だった。

『鳴海仙吉』の次に読んだのは同じ岩波文庫の『変容』。1967年に雑誌「世界」に連載し、加筆修正したものだ。解説は中村真一郎。中村は発表当時、物凄い衝撃を受けたそうだ。「鳴海」の次に「変容」、この順番は伊藤ファンから見て相応しい順序なのかどうか全く自信がない。一般的に、最初にどの作品から読むか、その次はどうするか、間違えると、捨ててしまうから、結構大事である。10年以上前だったら2ちゃんねるで質問すればよかったのかもしれない。

結果は……大変面白かった。まだ性的に枯れていない50歳以上の男性にオススメしたい小説だ(女性が読むと「都合が良すぎる!」と怒ると思う)。テーマは「老年」と「性」。言葉遣いや構造に気を使った知的なエロ小説だ(「ロリータ」の逆張りか?)


  • 龍田北冥:主人公。60歳の日本画家。寡夫
  • 倉田満作:故人。作家。主人公の学生時代からの友人。龍田が挿絵を描いた作品が代表作となった。文壇からは忘れられているが没後、新しい読者がつきはじめた。
  • 小渕歌子:20歳年が離れている倉田の元妻。その前は龍田のモデル兼愛人だった。倉田が存命中離婚。娘が1人いる。
  • 前山咲子:倉田の姉。踊りの師匠。学生時代の龍田に性的誘いをかけたことがあった。


話は、龍田が倉田の文学碑建立に参加することから始まる。自分も余命いくばくもないだろうと、覚悟した生き方をしようと決意する龍田であったが……。

1967年当時の60歳といえば、見た目も枯れ方も、本当に爺さん、婆さんだ。今なら70歳後半だろう。作中、倉田と歌子の間にできた娘が出てくるが、私が丁度それくらいの生まれだから、よく分かる。そして、1967年の東京は、東西線がやっと中野から大手町まで開通した頃。高度成長期の東京の描写も懐かしい。

作中に出てくる内的独白や女性描写は、気の利いた名言/警句的なものが多かった。男性読者は、伊藤の描く老年期の女性に性的興奮を(多少は)覚えるかもしれない。しかし、女性読者は龍田に興奮するとは思えないが、どうなんだろうか。