船山馨著『旅の手帖』(青娥書房、1976)

札幌生まれの作家、船山馨(1914〜1981)の薄い随筆集。妻の春子が後を追うように8月5日の同日夜に亡くなった、ということは新聞で目にした。八木義徳のエッセイで、船山が酷いヒロポン中毒になったが立ち直ったことも読んでいる。が、船山の文章は読んだことがなかった。

表題となった「旅の手帖」は、林芙美子と一緒に映画「逢びき」を見た話から始まる。林は映画がかなり気に入ったらしく、会う人毎にその話をした。台詞の中の「旅」がキーワードとなっている。「逢びき」は未見だが、不倫直前で年老いた夫のところに戻る若妻に「旅に行ってきたんだね」みたいなことを言うらしい。

「彼(ヒロインの夫)にとって、そのときの妻は彼の妻であるとともに、はじめて遠い困難な旅のはてに、ようやく自分の世界に帰り着いた若い未熟な旅行者であり、彼は旅の愉しさも辛さも知りつくして、やがて間もなく最後の旅も終ろうとしている練達した旅行者なのである。」

また、「物」についての文章は、そういう考え方があるのかとハッとさせられた。船山は、京都で400年前の能面を見て衝動買いをした。

「彼女(能面のこと)がどれほど多くの人の手をめぐり移ってきたかは、想像もできないが、おそらく、彼女は自分を深く愛し、珍重する手のみに受け継がれるという、幸福に恵まれつづけたのであろう。稀有のことではあるが、『物』はそれに接する人間の愛情によってしか生きられない以上、この『増女』はある意味では、四百年来の人間の愛情の集積であるとも、云えないことはない。」

表紙を含め、船山自身の手による絵が数点収録されている。画家・彫刻家の船山滋生(1948〜2011)は船山の次男だそうだ。

さて、本書は、札幌のPR誌に1970年前後に連載されたものをまとめたもの。札幌に行ったら、大通公園、北大動物園、苗穂ビール園、創成川畔を見ればよいというが、1971年の話だ。今はどうなっているのか。

船山は「旅」と「さすらい」は違うという。「さすらい」のほうが哀愁漂うかんじで好み、という間はまだ若いのかもしれない。

船山馨(Wikipedia