二反長半著『青桐の床屋と燕』(崙書房、1970)

川端康成が帯文を書いていて判型が変わっている(B5)『青桐の床屋と燕』。著者の二反長半(1907〜1977)は「にたんおさ・なかば」と読む。本名は二反長半二郎で「にたんちょうはんじろう」。初めて見る名前だったが、Wikipediaを見ると、児童文学者として多数の著作があるようだ。また、戦前、父親の二反長音蔵は阿片王と呼ばれていた。

川端の帯文を引用する。

ニ反長半君が、折にふれ発表してゐた40年間にわたる作品の中から、ここに10数編を自選し、一本にまとめた事は、君の文学業績を知るのに、意義のある事と思ふ。君は、児童文学界で一家を為してゐる作家だが、もともと小説から書き始め、文学の核は一つといふ理念に立ってゐたために、臆せずに、小説を書き続けてゐたのである。<中略>小説文壇にまるで縁のないやうな顔をして、誰に遠慮するでもなく自由奔放に自分の持ち味を、君独自のとぼけた文体に生かし、ときには妖気まで漂はせて書き続けてきた。まさに異端作家である。

本書には14の短編が収録されている。戦前のものが5編、昭和30年以降のものが9編。戦前の作品を読んだ。

  • 幻灯の村(昭和42)
  • 青桐の床屋と燕(昭和4) 
  • 罌粟畑(昭和4)
  • 商盲日記(昭和15)
  • ボロ機一周(昭和10)
  • 渡船(昭和8)
  • オニ(昭和38)
  • 月は東に(昭和35)
  • じんりきしゃ(昭和39)
  • うどん(昭和34)
  • ごって牛(昭和35)
  • とんぼちょうちょ(昭和35)
  • 大阪の狐(昭和38)
  • 花と角(昭和39)
  • あとがき 私が私を解説する

大阪の茨木出身。川端康成大宅壮一が同窓生に当たる。付近は、戦前は一面罌粟(ケシ)畑だったそうだ。本書が発行された頃は、大阪万博に伴う整理で億単位の土地成金が増えていた。

快楽のための麻薬としてではなく、薬品の原料として栽培される抽出される阿片に酔っぱらう描写に出会ったのは初めてだ。著者の子供の頃の思い出として、あちこちに使われている。

表題作「青桐の床屋と燕」は著者が学生の頃に下宿をしていた青桐の家を舞台に、そこを訪れた「友人の妹」との会話が中心。訳ありの様子なので、数日間、一緒に生活しながら身の上話を聞いてみると、燕を女装させ身も心も女性化したところで放り出す、始末の悪い未亡人について打ち明けられる。「友人の妹」とは、実は女装癖が止まらなくなった友人なのでは?という話。

図書館に所蔵されている北条民雄いのちの初夜」の扉に書かれた悪戯書き「この本を読んだものは、必ずらいになる。なぜなれば私がそのらいだからである」、というドッキリ文で始まる「ボロ機一周」。

戦前に書かれたものはどれもヘンな話しばかりで、そのヘンな所が実は児童文学の源泉だったのだろうか。文体は、軽さがない代わりに笑いがある龍膽寺雄を想像してもらえれば良い。

集英社から全3冊の『二反長半作品集』が出ている。