多和田葉子の『三人関係』を読み終わった

『三人関係』の奥付は、1992年3月12日第一刷 講談社

収録作品は、

  • かかとをなくして「群像」1991年6月号
  • 三人関係「群像」1991年12月号

の2つで、「かかとをなくして」は1991年の第34回群像新人文学賞を受賞している。当時の審査員は、柄谷行人田久保英夫津島佑子三木卓李恢成。

以下は、本書を読みながら考えたことである。

***

まず「かかとをなくして」。

私たちは「かかとをなくした女」をよく知っている。それはシンデレラの姉だ。この作品は、シンデレラの姉と同じくらいの運を持っている女が、自分の見た夢を毎日カードに書き連ね、それを読んで聞かせても辻褄が合うように、もちろん夢ならではの奇想天外さを失わないよう、1つの話にまとめたものかもしれない。

夢が骨子になっているので、自然と内田百間の「冥途」「旅順入城式」などを思い出したが、闇の部分は少ない。そして、主人公の名前はない。

「三人関係」は、色彩が印象に残り、場面展開の早い、フランス映画のようだ。フランス映画のようだと思ったのは、会話が中心となるラブストーリーだからである。会話は「私」と「私」の勤める会社でアルバイトとして働く「川村綾子」が、新しい運命を作るかのように、妄想を語り合うものだ。だから、これも私には夢の話のように読めたのだが、妄想を語る人が近くにいたら、そう思わないかもしれない。

登場人物には「川村綾子」のほかにも名前が付けられていて、萩、杉本、山野稜一郎、山野秋奈、らが出てくる。色彩が印象に残ったと書いたのは、山野稜一郎が画家のせいだろう。

舞台の1つは東京の「私」の会社。もう1箇所は中央線に近いらしいが、綾子の妄想らしく、「私」が辿り着くことのない葉芹線の終点にある貝割礼駅という所。貝割礼駅には山野夫婦が住んでいる。

「私」は常に「三人関係」を求めているが、「三人関係」は「三角関係」ではない、という。三人の関係を維持するのは難しいらしい。というのは、一人は神やら天使やらの代理を務めなくてはならないからだ。

***

追記
http://d.hatena.ne.jp/arashifurumoto/20100627 に「『三人関係』は高い」と書いたが、(ブックオフでない)普通の古本屋で100円と350円で入手。