埋火 立原正秋
昭和59年8月25日発行 昭和59年10月5日3刷 新潮文庫
数日前、私が一番最初に読んだ立原の本。「うずめび」と読ませる。生前に出した最後の作品集。
- 仮の宿「新潮」昭和52年5月号
- 吾亦紅「文学界」昭和53年1月号
- 埋火「季刊藝術」昭和53年冬季号
- 一夜の宿「文藝春秋」昭和53年2月号
- 山水図「新潮」昭和53年6月号
- 山居記「文学界」昭和54年1月号
- 水仙「文体」昭和54年春季号
「仮の宿」は「きぬた」の余韻とある。「きぬた」は未読だが、昔の客が、突然しがらんできて悶え苦しむ芸者の話。
「吾亦紅」は、立原が骨折して入院していたときの話。病院だから、下の階では赤ん坊が生まれ、同じ階で人が死ぬ。退院してから、その年の秋も吾亦紅を摘みに行く。
吾亦紅は、こんな植物。
http://www.ne.jp/asahi/home/kei/waremokou.htm
「埋火」は、骨董屋を営む中年男女の不倫話。表現はあっさりだが、妄想をふくらませることはできる。このあたりも、女性受けする理由かと思った。
「一夜の宿」は、出だしとしい、展開といい、登場人物といい、田中小実昌の小説のようだ。
そうだ、このまちにはあのひとがいたな、と思いだしたのは、三島駅を降りてタクシー乗り場に歩いていたときだった。増谷は女の顔をおもいかえしたとき、ちょっと足がとまった。そんなにふるいことではなかったが、しかしなにかのきっかけがなければ思いだすことはなかった。
田中小実昌だったら、こうなるか。
「そうだ、このまちにはあのひとがいたな」
三島駅を降りてタクシー乗り場に歩いてたとき、僕は思いだした。女の顔をおもいかえしたとき、僕の足はちょっととまった。そんなにふるいことではない。しかし、なにかのきっかけがなければ、思いだすこともない。
「山水図」は、戦死した恩師の未亡人とその息子に、偶然京都で出会う話。
暮方にちかく、雨がぱらついており、目に見えない寒気が張りつめている庭を眺めていたとき、右ななめの横合いから、もしや……と声をかけられたのである。和服姿の五十代半ばぐらいの婦人だった。顔に見おぼえがなかった。
「やはりそうでございましたわね。もう、憶えていらっしゃらないでしょうが、昭和十九年の秋の末に、ここでお目にかかりました遠田啓二のつれあいでございます」
こう言われたとき、私は三十数年前の晩秋の一日をはっきり思いかえした。
これは、立原が京都の寺で偶然耳にした会話を元に作ったという。以前は、五十代半ばの婦人は本当に遠い存在だったのに、最近は、近くなっている自分に苦笑した。
「山居記」は、世捨て人になった元高校教師とかつての教え子がセフレになる話。主人公は公園の番人小屋に住む管理人。教え子は、清掃課の日雇い。
本人は枯れているつもりでも
「あなた、としをとりすぎているというけど、元気じゃないの」
といわれるくらい精力はある。
「水仙」は、立原の亡くなった友人への鎮魂。
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私が立原を読んでみようと決心したのは、作り話がうまいと感じたからである。入院記である「吾亦紅」、友人の思い出話の「水仙」。この二つは、エッセイのようなものだが、それ以外は完全な創作だろう。それが並んでいても、身の上話のように、すごく自然に思えたのだ。これは、おそらく型のようなものがあるのだろう。
山川方夫のコントとも、何か、共通点があるような気もした。
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