「高橋たか子の『日記』」(高橋たか子)を読んだ

私は高橋たか子の結構熱心な読者だ。虚無的で悪魔的でエロチックな(「怒りの子」までの)初期作品群は特に好きである。「怒りの子」までを初期作品としているのは私だけで、研究者はもっと細かく分類しているのかもしれないが。

そして、それらが初期作品群ならば、後期は何かというと霊的著作と称されているもので、明確に自分の上にカトリックの神を据えている。後期著作群は、フランスの修道院とそこに関係する人々が重要な役割を果たしている。女子パウロ会が発行元になっている作品の中には漏らしているものがあるが、講談社から出ているものは新刊が出るたびにすぐに読んでいた。

ところが21世紀になってから、講談社発行で読み逃したものがあった。「高橋たか子の『日記』」と「墓のはなし」だ。

高橋たか子の本は刷部数が少ないのだろう。すぐに新刊書店の店頭から消える。古書店にあるのは、初期ばかり。

上記の買い逃した2冊は、どちらもすぐにアマゾンのマーケットプレースで入手することはできるのだが、高橋たか子の本は、まず、手に取りたい。郵送されるのは嫌なのである。

高橋たか子本に対して同じような気持を持っている人をブログで見つけた。

注文もいいんだけど、捜して出会えたらもっといいなあって思って。
http://kanon0711.exblog.jp/2071377 (香音とお茶を)

先日、金町の書肆久遠で「高橋たか子の『日記』」を入手することができたので、野呂邦暢の「諫早菖蒲日記」と並行して、毎日、少しずつ読んできた。

どちらも「日記」ではあるが、高橋たか子のほうを先に読み終えた。

一言で感想を書くと、良し悪しはともかく、こういう西洋かぶれ、フランスかぶれの人間はもう出てこないだろうな、ということだ。高橋たか子の日記を通して、古き良き時代のフランスの残像が見えた。

高橋たか子Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E3%81%9F%E3%81%8B%E5%AD%90

    • -

野呂邦暢高橋たか子、2人の作品に何か関係があるのか。調べてみたら、「戦後短篇小説再発見3 さまざまな恋愛 (講談社文芸文庫)」 で、野呂邦暢の次が高橋たか子だった。