『諫早菖蒲日記』(野呂邦暢)を読み始めたが……
『諫早菖蒲日記』(野呂邦暢)は読了まで時間がかかりそうだ。まずは、第1章を読了。帯にはこうある。
幕末――九州諫早藩の砲術指南の十五歳になる少女のみずみずしい青春の感性を透明な文体で描く純文学長篇!
ストーリーといえるものはなく、15歳の志津の目を通して見た幕末の諫早の日々が描かれている。じっくりと読む本だ。非常に気を使って選ばれた言葉が、幕末の諫早弁に紛れている。
私が読んでいるのは、最近、梓書院から出版されたものではなく、文藝春秋から出た昭和52年4月25日第1刷版。
「第1章 諫早菖蒲日記」 文學界 昭和51年10月号
「第2章 諫早舟唄日記」 文學界 昭和51年11月号
「第3章 諫早水軍日記」 文學界 昭和51年12月号
文庫版には後日談の「花火」が収録されている。「花火」は『野呂邦暢作品集』(文藝春秋)にも収録されている。
志津の1日はこんなふうに過ぎていく。
伯父上は罌粟畑にかがんで花びらの下にふくらんでいる子房に小刀を当てられた。縦にあさく傷をつけると、まもなくねばり気のある汁液がにじみ出てくる。それがかたまりかけると竹べらでかきとり、竹の皮にすりつけた。叔母上がそれをひなたにならべ、風でとばないように石を重しにのせられる。私は伯母上のすすめで浴衣に着替え、たすきをかけた。罌粟の汁は布にこびりつくと洗っても落ちないそうである。伯父上のすることを真似て、花びらの子房を小刀で傷つけ、にじみ出る汁液をかたまらないうちにそぎとった。傷は三条だけつけるように、と伯父上は念をおされた。ひなたで乾かした汁液は濃い茶褐色に変じている。これは腹痛にきくそうである。伯父上はいわれた。「矢傷、槍傷、刀傷、なんにでもきく」「弾丸傷にはきかないのでありますか」「おお、弾丸傷に効かないことがあろうか、いかなる苦痛もやわらげる、量と含み方によっては魂天外に飛ぶ思いもする」白い花があり、紫と深紅の花があった。ご家老方に世事の憂さを忘れさせるために栽培された罌粟であろうか、と私は問うた。万が一、長崎表で外国船を迎えていくさになった場合にそなえて栽培しており、と雄斎伯父はいわれた。(P63)