『猟銃』(野呂邦暢)を読み終えた
集英社から1978年12月10日初版発行。この短編集の特徴は本の帯にあるとおりだった。
けだるさの支配する男と女の時間にくっきりと形どられる透明な悲哀!
生きていることの後ろめたさ。生活が、ザルに水を汲む作業のようにさえ思えてくる毎日――妻の愚痴が、新築の家のキナ臭い匂いが、修繕屋の卑屈な声が、彼のかなしみをいっそうかきたてる。
初出は以下の通りである。
- 「五色の髭」 季刊藝術 1974年7月
- 「歯」群像 1976年1月
- 「もうひとつの絵」月刊プレイボーイ 1976年5月
- 「蟹」群像 1975年8月
- 「朝の声」 季刊藝術 1977年7月
- 「部屋」 海 1978年7月
- 「靴」 文藝 1978年7月
- 「猟銃」 新潮 1978年6月
付箋を貼ることが多かったので、それぞれ出来が良いと感じたということでもある。
女の上あごの歯列の内側が真っ黒だったので萎えたことがあったのは私だけではなかった。
いってくれ、このあいだの晩は本当はどうだったのか、と男はいった。そういいながら女の肉体にかぶさろうとした。息苦しげに喘ぐ女の顔が目の前にあった。目をとじて、口をあけてせわしない息を吐いていた。男は女の口腔から目をそらすことが出来なくなった。歯列の内側に濃い茶褐色が付着し、奥歯の一部が黒っぽく腐食しているのを見たとき、男は体にみなぎっているものが急速に萎えるのを覚えた。そしてあの夜の自分がどうであったかをはっきりと告げしらされたと思った。(歯)
畳の上の髪の毛は野呂作品に必ず出てくる。
引っ越してきた日に絵の具だらけの部屋を掃除していると、畳の合わせ目から長い髪をひとすじつまみ上げたことがあった。男の紙にしてはしなやかすぎた。部屋によどんでいる空気がにわかになまめかしく感じられたものだ。(もうひとつの絵)
この「もうひとつの絵」は凝っている。掲載は月刊プレイボーイ。対象読者を意識しているからか、原稿料が文芸雑誌と比較して破格だったからか。
さて7月8日に野呂作品を4つに分類したが、1つ加えて
- 女(との生活)の話
- アパートの隣人の話
- 病院の話
- 著者を投影した海東君の話
- 捏造した自分の記憶の話
としておこう。
女の話は妻の話になり、妻の話は女との三角関係の話になる。病院の話は父の話でもあり、介護老人を抱えた主人公と女の話になっていく。さらに、アパートの隣人の話は、隣家の話にもなっていく。
本書における妻、愛人、私の三角関係の話は「部屋」「靴」「猟銃」の3つだが、別れたつもりの女が「かまってちゃん」。病弱のうえ自傷癖があり中々別れられない。こういう女は、30年前は新しかったのではないか。
ところで、1978年当時、私がどのような作品に関心を寄せていたか、巻末に掲載されている新刊案内を見て思い出した。24冊の書名が掲載されている。作者の名前はみな知っているのだが、その中で読んだことがあるのは1冊だけ、高橋たか子の『ロンリーウーマン』である。なぜ高橋たか子を読んだのかというと、マンディアルグの『大理石』の翻訳者の1人だったからだ。