『十一月 水晶』(野呂邦暢)の付箋から

『十一月 水晶』野呂邦暢 昭和48年2月28日(1973年)冬樹社発行 http://amzn.to/dkE6Mj

本書には、「十一月」、「水晶」、「日常」、「朝の光は……」、「白桃」、「日が沈むのを」、「壁の絵」の7つの短編小説が収録されている。野呂にとっては処女作品集だった。「日が沈むのを」は、1974年に有光によって特装版が発行されている(http://amzn.to/bCHQEz)。また「壁の絵」は一番最初の作品だという。 
なお、『十一月 水晶』は、1977年に『壁の絵』の書名で角川文庫になっている(http://amzn.to/9lCXFS

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視覚は触覚を補完するのだろうか。単純作業を見ていると、あたかも自分がその行為を行っているかのような錯覚に陥る。野呂はそのような表現が上手だと思った。

昨夜は、街路に水道管を埋める土工たちの傍で、夜のふけるのを忘れていた。どうして今まで、このような仕事に惹かれなかったのだろう。きょうの昼、私は電気工たちが街燈をとりかえるのを見物していた。軽合金の組み立て梯子を垂直にのばして、一人の工夫が上へたどりつくと鈴蘭状の明かり覆いをはずし、網袋に入れて下の仲間におろした。高みから用心ぶかく紐をたらし、同僚がそれをうけとると、彼はだれにともなく「よし」と言った。(十一月、P9)
輪にした針金で分解寸前の桟を一本ずつ縛った。廊下の隅にある物置を物色して、がらくたの中から額縁を取り出し、ガラス戸の内側にあてがって板片で押さえた。(これで良し)(水晶、P31)
鉢巻の男が魚のやわらかい腹に庖丁の切っ先をあてがい、すっと切れ目を入れる。指ではらわたをつかみだす。水道から出しっ放しの水をあびせて俎板の血を流す。鮮やかな赤が白いタイルに溢れ落ち、水とまざってみるみる淡い紅に変わる。庖丁が白い刃を閃かせて魚の骨を断つごとに、みずみずしい切身が明かりの下で輝いた。彼はかたずをのんで魚屋の庖丁さばきを見守っている。(日常、P95)

そして、特装版が発行されたように、「日が沈むのを」はキュっと抱きたくなるような詩的な表現が散りばめられた作品だ。

はじめからたかが谷底のちっぽけな部落に、いわくありげなものを期待したのが間違っていたというものだ。貴重な日曜日をふいにして、手に入れたものは疲労と落胆だけ。遠くから眺めていると感じのいい所が、近くへ寄ってみれば別にどうということのないつまらない山の部落に変わってしまった。だからわたしはささやかながら一つの教訓を学んだと思うことで自分を慰めたのだった。(日が沈むのを、P175)
ホステスは数分後とぎれとぎれに叫んでいる。自分がある場所からある場所へ移るという意味の、文字にすると二字にしかならない短い一句を叫んでいる。おののきに近いものがわたしの背筋を走る。毎晩、隣室の声をきくたびにわたしは考えたのだ。彼女が叫んでいる言葉でさし示している場所はどこなのだろうか、と。こうも思える。人がベッドで最期の息を吐き出して冷たくなる。そのあげく辿りつこうとするそこと、組んずほぐれつのつかみあいのあと、熱い抱擁でもって行きつくそことは同じ場所ではあるまいか。(日が沈むのを、P179)

あの夕日、あれはわたしのものだ。夕暮の菫色の空、これもわたしの属する世界の一部だ。暮れてゆく空にのぼる街の音、燈火のきらめき、子供たちの喊声、足音、遠くを走りすぎる電車の響き、これらはみな世界がわたしに対して無関心であるしるしだ。(日が沈むのを、P185)
わたしは透明な砂金色の夕映えに浸っている。屋根瓦の濃い藍色が夕日を照り返して柔らかな黄金の陰影を帯びる。世界は深くなる。夕日の没する、なんというすみやかさ。(日が沈むのを、P187)

こんな気分に浸っているのはバスの元車掌である。組合から指令が出ていたストライキを忘れてバスに乗ってしまい、会社を辞めざるをえない状況に追い込まれた。

次に読むのは『海辺の広い庭』。http://amzn.to/cJqucL
また付箋をメモする予定だ。