美しい城 立原正秋

1974年10月25日第1刷 1981年10月1日第6刷 文春文庫

立原の13冊目の本。四部構成。初出は、「春の死」(「文学界」昭和42年7月号)、「熱い日々」(「新潮」昭和42年8月号)、「城」(「文学界」昭和43年1月号)、第四部の「三月」は書き下ろし。昭和43年(1968年)に、単行本として出版された。

美しい城とは、感化院のこと。感化院とは、少年院である。

主人公は、感化院上がりの「私」こと石見次郎。次郎は、昭和16年(1941年)、中学の自習中に読んでいた小説本を体育教師に取り上げられ、独り立たされる罰を受けた。次郎を放免する前に体育教師はこういった。

「貴様の親父は朝鮮人だな」
「貴様、関東大震災朝鮮人の事件を知ってるか」
「貴様のようなしぶとい朝鮮人が震災をいいことに掠奪や放火をし、日本人から皆殺しにされた事件だ」

自分が自習中に小説を読んでいた罰と何の関係があるのだろうか?その直後、次郎は、体育教師の手のひらを机に縫い付けるように、短刀で刺し通す。そして、数ヶ月間、感化院送りになる。

一部の「春の死」は、次郎が戦後まもなく家庭教師をすることになった少年、依田祐一との交流。「弁天のハート破り」こと依田は、次郎に感化されたためか、教師の肩を刺し、似たような道を歩む。「弁天」とは飲み屋街。「ハート破り」とは、飲み屋の女を落としていくことから付いたあだ名だ。そして、次郎が刺した体育教師と似たところのある、卑劣な警官を、依田が刺す。依田は、オートバイで逃げ、つまらない事故で死ぬ。

二部の「熱い日々」は、ハート破りが死んだ後の次郎の暮らし。妻子がある次郎は、生きていくために、感化院時代の仲間を頼って、様々な商売をする。そのうちの1人は、売春宿を経営していて、当時の仲間の妹は、そこで米軍相手の売春婦をしている。次郎は、米軍客、ジョニーの差別的な態度に怒り、彼を闇夜で刺す。そして、何食わぬ顔で家に戻る。

三部の「城」は、戦前の感化院時代の話。二部で登場したかつての仲間との数ヶ月。売春婦の兄である「六」が、教官、桜井の卑劣な仕打ちに腹を立て、脱走に成功する。おまけに、桜井の妻を犯す。

この場面はエロだ。

役人の妻に変化が起きたのは、このときである。役人の妻は閉じていた目をうっすらあけ、あ!と小さくさけんだ。そして六は、役人の妻の顔が、胸が、肩が、肌のいろ全部が、くれないに染まっていくのを見た。この女の変化が彼をいっそう動物的にした。彼は女郎から教わった淫らな言葉を役人の妻に浴びせた。言葉の数は豊富だった。それは、遊里で、男女交歓のながい歴史がつくりあげた措辞として無駄がなく、艶麗そのものだった。

四部の「三月」。次郎は感化院を出る。太平洋戦争は、前年の12月に始まっており、復学した中学では勤労動員が行われている。ある日、剣道の道場に向う次郎は、感化院送りになった原因の体育教師と、道ですれ違う。教師は、刺されたほうの手をポケットに入れたまま言う。

「おたがいに、あのときのことは忘れようではないか」

次郎は、体育教師を刺した事の正当性を信じていたが、わだかまりがあった。それを消すことは、剣を捨てると決心することでもあった。

    • -

柄にもなく、あらすじを書き写してしまった。要は、人間、何をバックボーンとするか、を描いた小説だと思う。状況、環境によって、支えてくれるものは違うし、変えなければならない。立原が「骨董」や「日本の美」に向ったのがわかるような気がしてきた。

あるいは「男は刀で。女はちんぼで、刺す」話。

それから、三十年以上前の小説だけど、人物が「生き生き」してる。この発見は、我ながら大笑いだった。また、そういうふうに書いてしまうと、その「生き生き」からこぼれ落ちるものがあって、わざと「ヴィヴィッド」とか「フレッシュ」とかの言い回しを、使ったんだろうな、とも思った。そして、それにも笑ってしまった。「エクリチュールと差異」とか、思い出したりしてさ。